今を生きていないと、人間はどんどんスカスカになってしまう。

生活の中に笑いのない人は信用出来ない。

時代を生きるとは、いつの時代でも、その時代の中で、自分にとって一番大事な人と出会うということで。

自分とは履歴書に書かれたデータではない。自分とは、まだ誰も名付けえない可能性のことである。

正しさとは刹那的である。その時に正しかったものが永遠に正しいわけではない。

約束をちゃんと守る人ほど、約束を破られてもパニックにならない。

自分の価値を決めるのは自分ではない。

他人の考えなんて、賛成することもあれば、賛成しかねることもあるのが当たり前。全面否定したり全面肯定する人は自分の視点が不在ということだ。

未来は、前にも後ろにも、上にも下にも、拡がっている。

思想とは、異質なものに期待する、力。

最初は優れていたがやがて駄目になるものがある。最初、駄目なものは最後まで駄目である。

人間のエネルギーは、誰かに渡した分だけ、もらえる。

失われたものを愛するよりも、未だ出会えぬものを愛しめ。

読む人が考えなくても分かる文章って、要するに読者を馬鹿にしてるかなめてるということ。

金儲けや自分の思想を広めるために人脈を築こうとする奴のことをゲスと呼ぶ。普通に生きていて出会った人と、気心が合えば友だちになる。人の脈なんてそれでしか作れない。

現代において「どう生きるか」という問いは「どう仕事をするか」ということになる。

目の前の人には伝えたいが、顔の見えない遠くの人には伝えたくない言葉がある。

神とは異常な能力を持つ者ではない。異常な状態の中で平常心を持つ者のこと。インターネットの中って、異常だよねw

真実を見つけたとしても、「はしゃぐな」。

自分で一番大切だと思っているものが、一番面倒くさいことだったりする。

自分の中に確固たる軸があって、その軸を中心にして考えたり情報を集めたりしている人とは、参考にはするけど、一緒に何かを考えたいとは思わない。僕にとって考える行為は、自分の中の軸が本物なのか、何かの思い込みなのではないか、と疑うためのものだか…

本当の文章とは、思ったことを書くことではない。思いもしなかったことを書いてしまうことなのである。

戦争とは、会ったこともない人間同士が殺しあうこと。そこには個人的な恨みや憎しみすらない。

口の硬いやつは信用出来るが、人間味を感じない。

人生の時間の流れは、Twitterのタイムラインよりも速い。

メリットがなければ行動しないという人は、行動そのものが最大のメリットだということを理解していない。

複製出来るものの価値は無限にゼロに近づいて行く。価値が変わらないのは、複製の出来ないものだけ。

人は何かのファンになることでしか、生きるエネルギーを保てないのかもしれない。

正しさとは、赤ちゃんのようなものだから、毎日、慎重に育て見守らなければならない。固定したものとして鎖で縛ってはならないし、ほっておくこともできない。

表現の力とは、威圧ではなく共鳴。