深呼吸する言葉

言葉の力

白日日記

metakit2006-09-19

 古今東西、権力者という者で、その国の未来を考えて治世した者はいない。現世の冨と力を集中させ、現世の中に王国を創ろうとする者が権力者だ。それは、下克上で権力を奪取した者でも、革命で権力を握った者でも、パフォーマンスの選挙で王座に付いた者でも同じだ。そんな当たり前のコトすら、分からなくさせたのがTVの力だろう。未来を押しつぶしながらの栄華に酔いしれているのだ。
 小泉純一郎構造改革をしたのではなく、明治開国以来の欧米型近代合理主義を更に推し進めただけである。明治の開国派と尊皇攘夷派との戦いはまだ終わっていない。
 そもそも尊皇攘夷を掲げたのは長州藩の下級武士である。それが倒幕運動につながり、権力を奪取すると、尊皇開国派となり、現世の利益を追求する財閥と組んで近代国家へと進んでいくのである。第二次世界大戦とは、尊王攘夷派の伝統を引きずった陸軍による、攘夷運動であろう。
 明治政府は天皇を徹底的に利用した。京都で祭祀を行うだけの一族を近代国家のシンボルに仕立て上げ、引っ越しを強制し、フランス料理を食べさせ、洋服を着せた。天皇家が本来持っていた文化を否定してしまったのである。日本人はもともと土着の宗教や、怪しい新興宗教に染まりやすい体質であることを国家の権力者は知っていて、そうした土着宗教より上部の概念として「天皇」を祭り上げたのである。まるで西洋社会のキリストのように。権力者は財閥と結託し、徹底的に天皇を利用した。まさに三上卓が歌ったように「財閥冨を誇れども社稷を思う心なし」である。
 自民党の権力者やマスコミが「天皇」を崇拝するという態度を見るにつけ、「おまえたちが日本文化をめちゃくちゃにしたのだ」と思わざるを得ない。権力者に利用され続けた一族の切ない表情が見えないのだろうか。
 そして新たな開国派である安部晋三が現れた。彼は自民党議員ではない。長州藩である。