白日日記
●ようやく全てが分かって全てが分からなくなってきた。分かったことは「分かろうとしなくてよい」ということであり、分からなくなったのは「それでもあふれ出す疑問は何の意味があるのか」ということか。
●徹底的に否定して否定して否定しつくして、最後に、ほんの少し肯定してあげれば、宗教というものが成立する。詐欺師のノウハウということか。
●世間話は毒にも薬にもならないから楽しいのであって、世間話に毒や薬を入れ込もうとするのは野暮なことだ。野暮はやだね。今の情報化社会が肌に合わないのは野暮が大手振るって情報発信しているところだ。僕がテレビを嫌いなのは野暮だからだな。
●本物は儲からない。本物は儲けることに使うエネルギーを本物を実現するために使い果たしてしまうからだ。本物もいなくなったし本物を支えるエピゴーネンもいなくなった。増えたのはコピペ人間ばかり。
●そうか、エピゴーネンというのは編集者であったのか。イエスにおけるヨハネやマタイ、あるいはマルクスにおけるエンゲルスとは名編集者であったのかも知れない。
●アラーキーの顔写を読む。見ることは眺めることではなく見抜くことだと、つくづく思う。視線が現実を突き抜けてしまうのだ。電車の中で見知らぬ乗客の顔を撮った写真がある。アラーキーは何度も警察に連れていかれたと書いてある。見抜くということは、すなわち体を張るということだ。見抜くことは野暮ではなく粋である。人は粋を目指すのではなく、見抜くことによって粋に成るのだ。
●美しい写真よりも正しい写真を!
●本日は、村松恒平と数時間語らった。僕もトランス派に入りたい。