深呼吸する言葉

言葉の力

metakit2004-11-09

若い連中に助けてもらいながら、70年代に書いた原稿を整理している。
僕の20代。
今と言ってることが全く同じだということに驚くやら呆れるやら(笑)
結局、僕は、最初に見つけたものを、ずっと見続けているということだけなんだな。
以下は、28歳の時にロッキングオンに書いた原稿。
すっかり忘れていた原稿だ。僕は固定的な個人ではなく、運動体だ。
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4.悟った人あるいは悟り切れないろくでなし

 確かに日常の単純な繰り返しが生活であり人間の一生である、というような心理を
素直に納得できるほど、僕は〈よくできていらっしゃ〉らない。人間は、日々のたわ
いのない動作の繰り返しには違いないが、しかし、その繰り返しの中で、少しずつだ
が無限に、はみ出して行く存在だと思うからだ。猿と千年万年向かい合ってても猿は
ヒトにはならない。海を十億年見ていても誰もやってきはしない。僕らがはみ出して
行かなければ、誰もやってはこないのだ。人間は自然だ、と言う言葉は誰が語っても
重たいが、だけど僕は、その重たさを信じない。言葉の重たさは、人間が今まさには
み出して行こうとする時の妨げにしかならない。結果としての僕は自然かもしれない
が、僕の結果は自然ではない。妙に悟った顔が僕は好きじゃない。その、終わってし
まったような顔が好きじゃない。逃亡先で宝くじに当たったような顔が好きじゃない
んだ。
 もう、悟りを目指した作業はしたくない。そんなの、最初っから当たり前のことに
しちゃって良い。悪戦苦闘の修行の末に悟って、本人はできあがっちゃっても僕らは
取り残された現実にあくせくしている、というのは、どう考えても貧しい。お望みな
ら何度だって何時だって僕らは悟ることが出来る。宇宙や自然と一体になることがで
きる。その為のクスリもある。
 でも、人間は完成しない。森は、海は、完成しない。一本の松も一隅のシダも名木
とはなり得ない。立ち止まってはいけない。納得してはいけない。はってでも借金し
てでも、はみ出すのだ。これが僕たちのパワフルな悟りです。

ロッキングオン35号/1978年より)